日本を代表する心理学者である河合隼雄氏の書籍、「母性社会日本の病理」の中に
母性原理と父性原理について記述されている。

それによると
母性原理の本質は「包み込み」だという
母親がわが子を包み込み、保護しながら育てていく
そこにはすべてのものに対する絶対的な平等性がある・
それは子供の能力や個性とは無関係である
一方で母性原理は子供の自立独立を許さない
それはで、子供の危険を守るためであり、母子一体の根本原理の破壊を許せないという面もある。

かくして、母性原理は、肯定的面においては、子供を生み育てることであり、
否定的な面では子供を飲み込み、しがみつき、死に至らしめる面もある。

一方、父性原理の本質は「切断する」ことだという。
すべてのものを切断し分割する、主体と客体、善と悪、上と下
父性は子供に対してその能力や個性に応じて類別する。
父性は「よい子だけがわが子」という規範によって子供を鍛えようとする。

かくして父性原理はこのように強いものを作り上げようとする建設的な面と、
一方では切断する力が強すぎて破壊に至る面という両面をもつ。

そのような定義づけのもと、河合隼雄は、
世界における現実の宗教、道徳、法律は、その根本において
母性原理と父性原理の両面の融合しながら、
どちらか一方が優勢があり、片方が抑圧されてた状態で存在しているという。
そして日本社会の傾向は母性的な面を優勢とする。
このことが、最近よく言われる草食系男子の増加と関係があるのだろうか?

上述のように社会がどちらかの原理に偏ることは、社会を不健全にする要因になると思う。
戦前の日本は、父性原理が強く働き、無謀な戦争に突入していったように、
現在の社会は母性原理が強く働き、平等主義と保護主義に偏り
気がついてみたらグローバルな経済競争に負け続けるとともに、
財政の健全化を軽視したばら撒き行政で借金大国になってしまった、
のもこのことと関係しているのかも知れない

ラグビーの世界で、
all for one for all(みんなが一人のために、一人がみんなのために)
という言葉がある。
みんながひとりのためにというのは、まさしく母性原理で、
ひとりがみんなのためにというは父性原理であり、
そのバランスが健全な人と社会の関係性だと思う。

今の社会現象と照らし合わせて考えると興味深い視点だと思う。