“創造性の発揮”するにはどうしたらよいか?
そのことについて、昨日いいヒントをもらったので紹介したい。
当社では、NHKの教養番組を題材に、研修会を実施している。
昨日の事例は、プロフェショナル仕事の流儀、「MIT教授 石井裕氏」であった。
石井氏は、コンピュータ技術開発における世界的な第一人者であるとともに、MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授として、若い知的エリートの教育者でもある。
でてくるアイデア、技術は世界で通用するオリジナリティを要求される過酷な世界である。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070208/index.html
そういった、企画、研究開発の現場のドキュメントをみて、私がもっとも印象に残ったのはMITの研究員という、知の世界で最高峰の人たちも、最初からA級にアイデアをだせるのではないということ。
彼らでさえを、B級、C級のアイデアからスタートする。、そのアイデアに鋭い質問を投げかけ、議論し、熟成し、ということを絶え間なく繰り返して、そういうプロセスを得て、オリジナルといわれるアイデアに到達するということが描かれていた。
一般に、アイデアの世界は、ニュートンがりんごが木から落下するのをみて万有引力の法則を発見したように、天才のひらめきによって生まれるというイメージがある。
しかし、実は、アイデア、創造性も絶え間ないアイデアの発信と、そのアイデアを複数の人がキャッチボールをしていくことになって磨かれて、純度が向上していくというものかも知れない。
石井教授でさえ、自分を凡人だから人の二倍努力するといっていった。
いいアイデアを出す、いい企画を出す、いいビジネスプランをだす、ということは、ひらめきなどからでた、原石に近い、まだとても純度の低いアイデアを、磨いていくことだということに気がついた。
堺屋太一氏によるは今は知価社会、知価経済の時代だという。
そういうトレンドの中で斬新のアイデア、企画はいっそう求められる時代になったことは自覚しているつもりだった。しかしどのように対応していくべきか、については不明瞭な点が多々あった。(今もあるが・・・)
昨日の題材から、アイデアの世界も、実は天才的なひらめきに頼らなくても地道な知的作業の積み重ねで、高い品質の知的クリエイティブを生産できるという示唆を頂戴したと思った。