先日、ある雑誌に柔道の山下泰裕氏の記事がでておりふと目に止まった。
タイトルは「目に見えない本質を探る」とある。
読んでみてはっと思う点があった。
山下氏が米国の産業人に
「アメリカで柔道の人気を高めるにはどうしたらよいか」
と尋ねたときの話である。
その産業人は、「選手は、もっと感情を豊かに表現すべきだ。勝ったらガッツポースを見せる。審判の判定に納得できなかれば抗議をする。」との提案をしたとのこと。
山下氏はその提案には感謝しつつ、柔道の本質に反するということから、「採用否」の判断を下したとのこと。
その柔道の本質とは、山下氏曰く
「柔道では戦う相手は敵ではないと教えます。戦う相手がいるから己が磨かれる。だから戦う相手には感謝と敬意を持たなければならない。それが「礼」の心です。さらに柔道は道であり、道とは柔道を通じて培った心技体を日常生活に活かすことです。つまり、鍛えた心身を人生に活かすことが柔道の目的です。」
山下氏によると柔道でもっとも大事なのは、強くなることではなく、人間として心を鍛えて人生に活かしていくことだという。
そういった価値観を上位概念において自己を律していくことが「道」だという。
日本には道と呼ばれる文化が多数存在する。武道の分野だけでなく、芸術文化の世界でも。
もしかしたら、どんな分野にも「道」はあるのかも知れない。
道という観点で世の中を眺めてみると、「道」から外れたことが目に付く。
そして、「道」と幸不幸は因果関係があるように思えてきた。
「道」をはずせば、不幸になり、「道」を愚直に踏襲すれば、幸せになる。
「道」というのはそういうものかも知れない。
山下氏の記事から「道」という言葉を噛みしめながら考えてみた。